中部眼鏡卸協同組合50余年の足跡

中部眼鏡卸協同組合50年の歴史

中部眼鏡卸の黎明期

中部眼鏡卸協同組合の歴史を紐解くと、大正8年に結成された、「名古屋眼鏡卸組合」にまでさかのぼる。

太平洋戦争の勃発(大正3年)と、それ以降の好景気は、日本経済に飛躍的な発展をもたらした。全国的に商業活動が活発になり、それにともない眼鏡需要も日々拡大していった。
 それまで名古屋には、眼鏡小売店は少なかったものの、次第に時計店が眼鏡の取り扱いを始めたことにより、その普及に弾みがつき、結果卸機能の活発化を促した。
 当時は眼鏡のみを取り扱う、いわゆる現在のような眼鏡専門卸というものはなく、装飾品や貴金属製品、髪飾りなどを取り扱う卸業者が併行して眼鏡を扱ってた、という程度だった。ちなみに当時眼鏡を扱っていた卸商には河内屋、末広屋(現横江眼鏡)、杉浦万作商店、牧新太郎商店(現マキシン)、谷澤商店などが挙げられる。

「名古屋眼鏡卸組合」の結成へ

経済が右肩上がりに発展する時代を背景に、全国的に同業組合、準則組合の組織結成が進みました。眼鏡業界では東京、大阪で製造、販売、申し合わせ組合、親睦グループが次々に誕生していった。

そうした趨勢の中、名古屋地区でも同業者の連帯と協調の必要性から、小売業者が申し合わせ組合を、大正2年(1913年)に発足した。そして大正12年には加賀0太郎氏を初代組合長に「名古屋眼鏡商工組合」が結成された。

卸でも同じく、それまで卸業者同士の寄り合い的だったものから発展し、大正8年7社による申し合わせ組合として、「名古屋眼鏡卸組合」が結成され、初代組合長に加藤由次郎が就任した。
名古屋眼鏡卸組合は、加藤組合長を中心に全組合員一丸となって各種事業に積極的に取り組み、この地域の眼鏡普及に大きく貢献するとともに、現在の事業の基礎を築きました。

昭和23年5月23日 名古屋眼鏡商業協同組合主催の「第1回眼鏡見本市即売会」を後援。福井から最新のフレームや顕微鏡、双眼鏡なども網羅し紹介した。
昭和27年11月17日 日本眼鏡卸商連合会が発足。北陸山中温泉両泉閣で設立総会挙行。
昭和29年9月20日 東京眼鏡卸商業協同組合と「第1回眼鏡技術講習会」を共同開催。愛知県商工館ホールで400余名が聴講。
昭和31年1月5日 2代目組合長に榎本真三氏が就任。
昭和32年2月23日 愛知県商工館で「眼鏡研究会」を開催。東海4県各地から300余名が参加。
昭和32年9月2日 10月1日から眼鏡レンズに適応される、改正薬事法について、例会で説明。
昭和33年9月20日 自動検眼機(ケジヒツメッサー)講習会開く。
昭和34年3月23日 「第1回眼鏡学研究会」開催。
昭和35年8月15日 小売店に向け「眼鏡レポート」を発刊・発送。第1号は改正薬事法に関する解説と、業界の大同団結訴える。
昭和36年1月5日 東海眼鏡卸協会発足。
昭和36年6月6日 法人組織組合「名古屋眼鏡卸協同組合」へ改組
昭和40年5月9日 3代目理事長に横江善隆氏が就任
昭和42年3月13日 ニューサングラス展示会をスタート
昭和42年10月10日 4代目理事長として内藤泰雄を決定
昭和43年8月22日 東海4ブロックの理事長らと眼鏡業界懇談会を主催
昭和44年2月12日 ニューサングラス展示会が中部めがねフェアに名称を変更
昭和44年4月13日

中部眼鏡卸協同組合に名称を変更
昭和44年8月2日 組織の拡大強化を図るため、中部地区の組合未加入者に加入を呼びかけ
昭和44年10月3~5日 韓国・ソウルへ秋の慰安旅行
昭和45年4月26日 中部商工連(仮称)の設立へ
昭和45年11月12~14日 恒例の秋の慰安旅行に、組合員13人が参加。南九州の名所を周遊。
昭和47年2月23日 設立10周年記念式典を挙行
昭和48年5月21日 全眼卸連新会長に内藤理事長が就任
昭和48年10月3日 優良組合として、知事表彰を受賞
昭和50年5月19日 内藤理事長の重任決定
昭和51年2月 送料・包装費用の小売負担を要請
昭和52年9月2日 小林成行を中心に、組合青年部が発足。
昭和55年2月8日 名古屋駅前の都ホテルで開催の第18回中部めがねフェアで青年部がアンケートを実施
昭和55年11月8日 取引メーカーを迎え、ボウリング大会
昭和56年5月18日 第20回定時総会で5代目谷澤光治新理事長が誕生
昭和56年9月26日 第1回麻雀大会で内海輝男氏が優勝
昭和56年10月6日 組合新事務所を開設
昭和57年2月26日 設立20周年式典を挙行
昭和57年4月8日 榎本元理事長が急性肺炎のため逝去。
昭和57年9月18日~21日 青年部との合同企画で韓国の眼鏡業界を視察
昭和58年8月2日 谷沢理事長がCBCラジオ「おはようCBC」に出演。メガネの価格問題へのインタビューに対応
昭和58年11月20日 中部卸ゴルフ大会で小林成行氏が優勝
昭和58年 組合結束のシンボルとして「中部眼鏡会館」の建設を計画
昭和58年11月10日 星が丘ボウルでボーリング大会を青年部が企画。60人が参加。
昭和59年2月2日 中部めがねフェアが吹上ホールに移転
昭和60年2月6日 中部めがねフェアが、エクセレントオプティカルフェア(通称EOF)へ名称を変更。過去最多の850人を動員。
昭和60年5月2日 永年勤続で43人を表彰
昭和62年2月2日 月例会で売上税粉砕を確認
昭和62年2月4日 EOFに、韓国、香港、ビルマなど東南アジアからバイヤーが来場。
昭和62年5月16日 青年部がセイコーエプソン工場を見学。20数人が参加。
昭和63年9月17,18日 芦原温泉で全青連開催
昭和63年9月29日 横江善隆元理事長が急逝
平成元年5月2日 永年勤続表彰を実施
平成元年9月17~18日 芦原温泉グランディア芳泉で「日本眼鏡卸青年部連絡協議会(全青連)」が全国大会を実施
平成元年10月30日 名古屋商工協同組合の総会で、優良組合として名古屋市長表彰を受ける
平成3年 第28回EOFを開催。「楽しさ120%!目移りしそうなイベントづくし」をテーマに、過去最多となる850人を動員、売上げ1億6500万円(指定)を記録。
平成5年7月2日 青年部研修旅行で、メニコン関工場と郡上八幡の大滝鍾乳洞を見学。23人が参加。
平成7年9月1日 JCジャックインストラクター石川昌一氏を講師に迎え、第7回セールスセミナーを実施。
平成12年5月17日 6代目理事長に小林成行が就任
平成21年5月20日 7代目新理事長として横江弘美が就任